2014/05/15

群馬で出会った小さな親友たち





大原町に引っ越してきた日にたまたま通りすがって手伝ってくれたんだよな。笑
よく遊びに来て騒いでくけど、いつも楽しませてくれてありがとよ!!!


友情に年齢の壁なんてない!!!!!


※中高男子校の僕は、友情に性別の壁ができることは多々あります。


2014/05/09

金の問題じゃねえ、スピリッツの問題よ。


「二度と直せなくなる修理は、求められても受けないよ。」

なんてツッパって断らずに、自腹切ってまで完璧に修理しても、それはそれで未来がない。
腹が減るどころの騒ぎじゃねえと分かっちゃいるけど止められない。。。


金は分かりやすいけど、スピリッツの問題は本当に厄介だよねぇ。。。

2014/05/02

【トラクターにルーフキャリア作ってみた】イセキトラクターTJV/TJX/TJWシリーズ


トラクターのルーフキャリアを作るような人生になるとは思ってなかったな。
ガチで設計して、どこでも誰でも組み立てられるように仕上げてる。笑

まずは不具合を起こさないことが大切。1シーズンじっくりと経過を見守ろう。

それにしてもマニアック過ぎて笑えるだろう?笑


2014/04/25

「諦める」ことは誰にだってできるから、


「諦めない」ことが可能性を生むと信じて、頑張ろうぜ!!!



※時には「諦める」ことも大切です。


2014/04/18

なんとか2014年も風邪を引かずに冬を越すことができたよん


実はオーバーオールの下に100均で買ったレッグウォーマー履いてたんだぜ

足下の温もりが全然違う・・・

来年も採用決定だ〜〜〜!!!!!


※もう5本指ソックスとレッグウォーマーなしでは生きていけない・・・


2014/04/12

また一つ、町工場がなくなっちまったよ。


久々に大田区の実家に戻ったら、ある町工場が更地になってた。
えっ!と、立ち止まってしまった。

毎日通ってた駅までの途中の道。
ここのオヤジさん達、朝、道路でラジオ体操してたんだよな。
それは日常の風景で。
リーマンショックで途端に工場が休みになって、でもその後復活して、勝手にヨッシャー!!って思ってた。
工場が再開して、嬉しそうな顔でラジオ体操してたのが印象に残ってる。
オヤジさん達と話したことはないし、モーター関係の特殊な装置を組み立ててるなというくらいで、どんな仕事をしていたのか、詳しくは知らない。
でも、おれの中で間違いなく特別な工場の一つだったんだ。

群馬での取組が形になったら、いつの日か話を伺いに行きたいと思ってた。
それは叶わなくなってしまったけど、
あなた達の存在がおれのきっかけになってたんだよと、感謝を伝えたい。
ここもマンションに変わり、多くの人達からあの工場の記憶は消えていくだろう。
だけど、おれの心の中には残り続けるし、形は違うけど、しっかり受け継いでるから。

オヤジさん達、長い間、お疲れ様でした。


2014/04/02

衣類用ハンガーとは、鉄の丸棒を服を引っかけやすいように曲げたものである!ということで…


一般的にハンガーと呼ばれる2φの鉄の丸棒を、服ではなく本が引っかかるような形状に曲げたところ、曲げすぎて指が痛えw

ネットでハンガーでラック作ってる人見つけて真似してみたんだけど、
なかなかいいね笑


2014/03/30

おれは近所のガキんちょにモーニングコールを頼んだ覚えはねえっ!



ちっ・・・

かーさんクッキーあげるから静かに食べてなさいっ!

おれはもう少し寝るぅ!!!zzz


2014/03/19

こんなとこで何してるのかなと思ったら




ヨモギ!!!!!@@;

ヨモギ餅のヨモギって日本中の野原に自生してるんだってよ!!!
http://foodslink.jp/syokuzaihyakka/syun/vegitable/yomogi.htm

仕事がら道具にばかり目が行くんだが、100均のカッターだったよ。
あれこれ考えるとロマンチックだよな〜

茨城の農家さ〜ん!色々教えてくれてありがとよー!


2014/02/10

ここは踏み入れてはならぬ最果ての現場か? 希望に満ちたフロンティアか?


15歳の時あるダンサーとの出会いに始まり現在まで、
おれもああゆうオトナになりたい!との想いだけで人生を選択してきたけど、
30歳目前にして辿り着いたのはスリランカ人のスクラップ屋さ。

おもしろいことに、カタコトの日本語と優しく鋭い眼差しでこのスリランカ人は大事なことを言うんだ。

「私ハ人ガ求メルコトヲスルダケデス。デキル限リ人ガデキナイコトヲ追イカケテ、ネ。」

ほぼ青空工場で、ミッション割って、トラクター直してた。
そこら辺で集めてきたなって感じの不揃いの工具を使って。
雪で屋根が落ちたって大騒ぎしてたけど、すぐに復旧させて、たんたんと仕事を続けるんだろう。
このオヤジは25年前に日本にやってきたらしいけど、言葉も通じない場所で自分の領域を作って、そのエネルギーはすごいな。

日本の農業は大変だと口にするくらいなら、このオヤジの現場を見に行こう。
考えて動いて活路を見出すしかねえなって、未来への不安を語ることは無意味だと胸に響く。

未来は自分でつくるものさ。
余計なことは考えず自分なりのフロンティアを行こうぜ。

と改めて思った大雪の立春。


2014/01/15

ブロッコリー畑の真ん中でアルミニウムと向き合う


ブロッコリー掻き分けて台車の寸法計りにいくなんて、なかなかいい仕事だろ?笑

大金なんて稼げないけど、笑ってありがとうって喜んでもらえるんだ。

最高だよ、コツコツやっていこうぜ!!!!!!!


2013/12/22

ウォシュレットを求めてパチンコ屋へ駆け込んだら… part2


なんと師範がいましたっ!!!!!!





※今回は事前に情報を掴み、会いに行きました。


2013/10/19

本庄精密農法研究会


埼玉県本庄市の『本庄精密農法研究会』に講師(一応)として呼んでもらいました!

アンダーグラウンドのさらにアンダーグラウンドからついにメジャーシーンに顔を出す時が・・・

本庄精密農法研究会は、東京農工大学の澁澤栄先生がベースとなって、
有志の農業者を中心に流通業者なども連携して、農業情報化の先進的な取組を進めてきた集団なんだ。
(詳しくはコチラ→http://honyasai.jp/pc/pf/pf01.htm)
澁澤先生はおれが語るのも恐れ多い程に農業界で有名な先生。
実は東京で町工場を訪ね歩いてる時に、もう3年以上前かな、
同じく東京農工大の千賀先生と知り合ったことがきっかけで澁澤先生の研究室に呼んでもらって。
その時は農業機械に関係するとはこれっぽっちも思ってなかった。
当時先生は農業機械学会の会長でもあり製造業の話を色々と教えてもらったけど、
おれは先生の話の9割5分理解できなかった。
話の展開の速さに全くついていけなかった。
鉛筆ナメナメひたすら勉強してたはずなのにと、あまりのショックに膝から崩れ階段を転げ落ちそうになったことを覚えてる。
で、時は流れ、
気付けば農業機械にずっぽり浸かってるおれは、現状報告とアドバイスをもらおうと澁澤先生を再び訪ねた。
あの時からだいぶ鍛えてきましたからねぇと意気込んだものの先生の話にはまだまだ8割方ついていけず、両手で力の限り手すりを掴んで階段を降りるハメになる。笑
だけど何かが伝わったのか「君おもしろいから勉強会で話せ」ということで、
今日に至ったよ。

東京の町工場で見てきたこと、桐生の繊維町工場で気付いたこと、農業機械の分野で取り組んできた事、おれが何を見て何を考えているか、伝えさせてもらった。
お前のパーソナリティーから話せということだったから、もちろんMC HAMMERのこともw

専業農家として真剣に営農されてきた農家さんを前に、
またこの勉強会に呼ばれる講師の方達もすごいメンバーで、
相当に身が引き締まったけど、やっぱりこうゆう機会は本当に貴重なんだ。
常に頭をクリアにできてるのは理想だけど、
走りっぱなしだとどうしても煩雑になってしまう。
大晦日やお客さんが来る時に念入りに掃除できるように、
今回このような場を頂いたことで散らかりっぱなしだった自分の頭の中を少し整えることができた。
良いチャンスだった。

勉強会で話をして、手応えも感じることができた。
おれの話が具体的にどうゆう変化につながるかは分からないけど、
ここで終わりではなく、本庄の農家さん達との関係を始められれば嬉しいな。

最後に、
農業でも製造業でも同じだけど、
事業者・大学・行政でタッグを組んで実際に事を起こす地域連携は本当に稀少。
この研究会はさらに流通業者や農協も絡んでるわけで、それだけでもすごい価値がある。
今日は貴重な時間を頂き、前向きな輪に参加させて頂き、ありがとうございました。

本庄精密農法研究会
http://honyasai.jp/pc/index.html


2013/09/28

やたらでっけぇ稲だな〜と思ったら、、、


牛丼チェーンさん用の多収米なんだってよーーー!!!
車で流してるだけじゃ分からないけど、こうして現場に踏み込んで見てみれば「違い」に気付くことができるよね。
その「違い」に興味を持って追ってみれば、またひとつ世界が広がるんだ。

てかなかなかいい写真が撮れたな笑


2013/09/26

腹が減りすぎて気絶しかけたので、、、


生のままトウモロコシを食べてみました!

意外といける!!!


2013/08/23

壮大な工夫の痕跡 両合棚田/日本棚田百選


その時代、その土地で、人は生き残るために様々な工夫を凝らして、
自然のエネルギーを摂取可能な状態にして、体に取り込んできたわけだけど。

各地で山の斜面に石を積み上げて、棚田を作った。
山奥にすごいものを作ったなぁ・・・と感心するけど、
当時はそれが不可欠で、当然の生業だったんだね。
ここの棚田のように、現在は耕作放棄地に近い状態となっている場所も多い。
当時の生活スタイルに、必要性がなくなると、
その場所で築かれてきた生産能力も同時に失われていく。

これって日本人は失って良いものなんだっけ?
なんて考えてみても、
管理できない現実がある以上、虚しい。
自分にできることでもないわけで、考えるだけ野暮だよね。

大分県のとある山間部で、
大切なものが失われたのではなく、必要なくなったんだと信じたい。
生産技術から保存技術や物流システムに至るまで、
日本人は知恵を集め、棚田以上の工夫を生んだはずだって。
だからこの棚田は必要なくなったんだと信じたい。

もしそうでなければ、哀しいじゃない。