僕は製造業のメッカ・東京都大田区で育った。油の焼けるにおいがする町工場街だ。大田区は世界的に知られた産業集積地と言われる一方で、メディアは大田区製造業の苦境を報道し、街は年を追うごとに工場を解体していた。ある日、自分の実家も工場跡地に建てられていたことを知った。目の前に広がる工場を気にすることなく暮らしていた自分に「何かすべきことがあるんじゃないか」と思った。アテもなく東京の町工場を訪ね歩いたところ、人生は流れ、群馬の町工場のオヤジさん家で共同生活を始めることに。そして、群馬県太田市を拠点に、町工場と力を合わせて、農業機械のカスタマイズや破損部品の修復依頼を請け負うようになる。顕在化していなかった農業現場のニーズを集めて製造業界に新しい仕事をつくり始める。これは「町工場の加工技術そのものを農業者に向けてアプリケーション化したパイオニア」と呼ばれる男のブログ。